:*:・。,☆゚'・:*:・。,ヽ(・∀・)人(・∀・)人(・∀・)人(・∀・)人(・∀・)ノ ,。・:*:・゚'☆,。・:*: 保育士見習い日記

今、自分にできること。

CoM0 TrB0
近年、凶悪事件が増えている。
こんな見出しでなにか書こうかと思ったが、そう言われるようになってどれくらいたつだろうか。

中学生による凶悪事件があって、法律が変わって取締りが厳しくなって。
また事件を起こす年齢は低年齢化して。

これらは自分がいくつのときだったろうか。
ちいさいとき、というほど小さくはなかったが、最近ってほど最近でもない。

なのに、今も凶悪事件は増えているといわれる。

なんでだろう。

この世の中じゃいけないってことはきっと誰もが感じている。
小学校の道徳(っていまあるのかな?w)とか、中学校高校のHRなどでそういう話を一回や二回はしているだろう。
けれでも、その話をしたことを、その子らはどれだけ受け止めているだろう。

メディアの発達、インターネットの発達により、いまどき小学生だってなんでも触れることができる。よろしくはないが18禁サイトとかだって閲覧できてしまう。
しかし、その辺のことがいい・わるいの区別が完璧にできるわけでもないし、判断だって難しいだろう。
けど、現実は触れてしまってる子もいるだろうし、そういった有害なものを見てしまった子だっていると思う。

それらがいいとされないから、閲覧制限があるのに、見てしまっている。

こういったことにたいして、なにもなされていない。

いやされているのだろう。しかし、結果が伴ってるとは思えない。

ほかのこともそうじゃないか?と筆者はかんがえる。
何事も、目先のことだけやろうとして、できなくて。
ひとつの物事を解決するには、全部見なくてはいけなくて。

こういったことを解決するべきは、子どもかっていうよりは、大人なわけで。
大人っていうのは模範であるべきなのに、最近はそのような雰囲気はない。

時には大人のほうが幼く感じるときさえもある。
大人と子どもの区切りを作る必要はないかもしれない。
けど、威厳っていうものはあってもいいんじゃないかな、と思う。

なにかの、技術で優れてるから、とかではなくて、人間性で優れていなくては。
すくなくとも、子どもよりは。

ニートだとかいわれる人も、結局は働かないことに対して何も思わないわけだから、今の状態に甘んじているのだと感じてしまう。
実際は、それぞれ理由があるのかもしれないが、それでも事実「自分より年上なのに定職についていない」という」ひとは大勢いるのだ。
それを子どもたちから見たらどう感じるだろうか。

大人と子どもの違いというより、社会に出れる人か出れない人かという区切りが今見えないところでできている気がする。

きっと社会に出たって、変な性格の人だっているだろうし、使えない上司だっているだろう。
そういったのも含めて世の中どこかで歯車が狂ったのだろう。

政治家だって、さかのぼれば日本をよくしようって集まった人たちのはずだ。
もっとも戦前とかそういうとこまでさかのぼらなくてはいけないかもしれないが。

そういったことをどうやって改善するべきか。

これは、『日本』という超巨大規模である組織を、再構築することが必要であるということで、誰かがやるだけじゃできない。

サークルや部活で、先生や部長など一部の人ががんばっても限界があるのと同じだ。
つまりは全員が一丸とならなくてはいけない。


と、ここまで書いてみて、具体的にどうやったらよくなるのかが正直わからない。
いや、考えただけでわからない状況なのだから当然だが、なにがいけないのかもよくわからない状況ってのが真実だろうな。
そして、自分みたいに知らない人が大多数っていうのが現状。

そして何もできない自分はここまで考えても、考えてない他の人とできることは変わらないから、なんら変わってはいないという事実。

タイトルで「今、自分ができること」って書いたくせになにもでいない自分が歯がゆい。
ならば、自分はせめてこの世知辛い世の中誠実でありたいと思う。
語り  2008.01.03

新聞ネタ。

CoM2 TrB0
自閉症の生徒外しDVD 東京の中学 保護者訴え、復活
2007年12月08日17時11分

 東京都練馬区の区立中学校が校内で開かれた合唱コンクールのDVDをつくる際、1年生の学級で自閉症の生徒が映っていない映像を撮り直して販売しようとしていたことがわかった。この生徒の保護者の訴えで中学校は生徒の映像を復活させることにしたという。

 同校や関係者によると、合唱コンクールは11月8日に開かれた。各学級が2曲ずつ歌い、その様子を録画していた。

 自閉症の男子生徒(12)は最初は音楽に合わせて体を揺らしていたが、1曲目の途中で舞台から退場してしまった。このため学校側は、すべての学級が歌い終わった後、この学級だけ1曲目を撮り直し、DVDにはこの映像を収録しようと計画した。男子生徒の保護者からも購入希望があったため、この保護者用に男子生徒が映っているDVDを1枚だけ特別につくり、他の希望者には映っていないDVDを売ろうとしたという。

 これを知った男子生徒の保護者は「みんなに販売されるDVDにも息子の映像を入れてほしい」と訴え、学校側も映像を編集していないDVDを販売することに改めた。保護者は「クラスの一員として参加したのだから、DVDに入れないのはおかしいと思う。何に対する配慮なのか分からない」と話している。

 これに対して校長は「退場していく映像を残すことは(自閉症の)生徒に対して酷では、と考えた。保護者の心情をくみ取れなかった」と話している。

引用元ページ

この記事をさっき読んで想った事。

現在、自分は障害関連のレポートの書き途中である。
今度の授業で提出するためだ。なのである程度の知識を持っていたし、今回のレポートの内容は「世間の認識」をテーマとして書いていた。
しかし、今回このニュースを見て、そしていろいろな人の意見を掲示板で読んだとき驚いた。

ここまで賛否が分かれるのか、と。

たしかに、みんながみんな障害児やその親をかばう発言だらけとは思わない。しかし、一番びっくりした意見は、自分で勝手に退場したんだから、そんな見苦しい姿を周りの子の保護者に見せないために撮りなおしたのでは?というものだ。

これはあくまで一個人の意見としてその人はそれを書いたんだろう。
だけどさ、えっ!って正直思った。

勝手にとか、自閉症の症状を知らずに随分ひどいことを言うなぁと。
自閉症なんだからおとなしく特別学級とか通っとけとかそういう考えの人なんだろうけど、本来は違うんだよ。
統合保育って言ったりもするんだけど、障害児と健常児を混ぜて生活させることが、お互いにいいとされてるんだよ。
互いを思いやったりもできるし。

だけど、まあ某巨大掲示板では、「障害児が入ることで担任の負担が多くなる」とか「専門知識のある人に任せておけばいい」など、そういう意見が飛び交っていた。中には、「配慮っていう言い訳でただの差別だ」見たいな意見も合って少しほっとする面もあった。

けど。最初に言ったような考え方をしている人地がいるのは事実で、またそれが悪いって言うんじゃなくて悲しいって言う現状。
そういう風に考える人は、そういう風に考えるまでの経緯や人生観・障害者への観方ってのがあるんだと思う。

以前、障害児保育のレポートで、知らないことや、勘違いが多すぎる、みたいな意見を書いたことがあった。
そのとき先生は、知りすぎてると又新たな問題があるという風に答えていたが、この場合、論外だろう。

知らないのだ。または生半可な知識を勘違いしているのだ。

ゼミは、言葉の影響とか調べていきたいと考えていたが、もしかするとこういった認識や知識の誤差・誤解などを調べて見たいかも、と思った。


何はともあれ、自分の「観」を押し付けまいとはするが、こういう意見を見るとどうしても納得いかないたちなんだなと感じた。


語り  2007.12.08

こんな夜中に思ったこと。(虐待とか)

CoM2 TrB0
虐待。

この言葉を今知らないって言う人は、なかなかいないだろう。それは、メディアがたくさん取り上げたのがひとつの大きな要因だろう。

では、虐待を実際に体験した人はどれくらいいるだろうか。自分が受けて育った場合や、逆にしてしまった場合、他には兄弟や近所など身近なところであった場合など考えられるが、それらはほんの一握りだと思う。

つまりは虐待の本質を知ってる人って言うのは少ないのではないか、と思うのである。自分が知っているかと問われると微妙ではあるが、一応勉強中の身ではあるので多少は知識としては知っている。で、今回何が言いたいかというと虐待って何?ってふと、考えるとわからないのである。

例えば、親がこどもに煙草を押し付けるという行為を行ったとしよう。その行為自体は紛れもなくいいことではないし、虐待に当てはまると思う。では、こどもがなにか悪いことをやらかした為、叱りました。その後日、また同じことをやったので、拳骨をかましました。この行為は、体罰ではあるが虐待と言い切れるだろうか。

あくまで、しつけとして行ったものだとしたら、それは虐待と呼ぶには難しいと思う。では、上記の行為を数年にもおよび長期的に行ったとしたら、どうだろう?繰り返し言っても聞かないから叩く、あくまでこどものことを思い、良かれと行う。私個人はいいとは思わないし、これらは方法を変えるべきだと思う。しかし、仮定であり、事実こういうことがありえるのでこの例をこのままつかいたい。

さて、長期的にこどもを叩く。これだけを聞いたら虐待だ。しかし、あくまで仕付けの一環として、感情的にはならずに行っているとしたら、どうなのだろう?これを虐待とするならば、何度叩いていいのか?いや、叩くという行為自体が虐待なのか?ならば体罰=虐待なのか?という考えに行き着く。

最初、虐待と仕付けの一環としての体罰の違いは、感情面、つまりは「怒る」か「叱る」の違いだとおもっていた。しかし、それだと長期的に叩いてもいいということになる。そうすると、叩かれていたこどもはどう思うだろう。そのこどもはきっと将来虐待という言葉と一般的な意味を知るときがくるだろう。そのときその子は
何を思うか。こうは、感じないだろうか?


自分は虐待されていた、と。




考えてみてほしい。いくら親が自分のことを思っていても、いくら自分に非があったとしても、長期的に自分を叩き続ける人間のことを、好きでいられる?いくらその人が自分の今を作ってきた人だとしても、信じ続けられるか?尊敬できるか?
その答えはここでは出ない。だけど、この考えは多少は突飛しているが、ありえない話ではないと思う。以前先生に聞いたときは、こどもと親の信頼関係がそれを左右すると答えてくれた。それも一理あるが、信じ続けることが100%できるかというと難しい気もする。

そしてこの考えから、親に対しての暴力や殺傷行為に及ぶとしたらこの責任は誰が持つんだろう。

親がやったから自業自得?違う。

子が我慢できなかったから子が悪い?違う。

じゃあ誰?社会?制度?世界?

そんなのはわかんないけど、誰なのか、何なのかと思ってしまう。
別にメディア批判ではないが、メディアはこういう事件がおきたとき、いかに悲惨かということや、誰かを悪にして、誰かを正義にすることが多い気がする。たしかにわかりやすいし、ひとつの手段だろう。
だけど、その事件の中心人物はどう思うのか?



少し、話が飛躍するが、人は自己中心的な生き物だと思う。だからこそ、自と他の違いがあり、個性があり、今がある。しかし、時には相手の気持ちを考えることも必要なのではないだろうか。思いやりとかそういう類のものは教育の一環で確かに自分も習ってきた。けど、それは形式的であり、現実的ではなかったのかもしれない。そして、そういうものがこういうことにつながってるんじゃないかって考えてしまう。

ここで、教育方針や教育方法を批判しつつ、どうすればいいみたいなことを書けばきっとこの話の収集はつくのだが、私はそんなことを言いたいのではない。

こうやってひとつひとつの物事を紐解いていくと深くなればなるほど、複雑に絡み合っている。人間関係も縁で結ばれているが、こういった事象も同じように絡み合
ってると思う。それなのに、人は数式みたいにイコールで結びたがり、善悪をつけたがる。

なんでもかんでも答えってのはでないんだよ。もっとみんな考えてみようよ。って思った。思考があるっていうのは素敵なことだと思うよ。

なんでも鵜呑みにせず、虐待についてももう少し考えてほしい。安易に誰が悪いって決めないで。




虐待について書きたかったけど結論がずれてしまったorz
夜中に書く文章ってのは異常な状態で書くからなんか不思議と文章が出てくる。その分なんかまとまりがなかったりするんだけどね。
とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。
語り  2007.11.19

こどもにとっての言葉の役割

CoM0 TrB0
 言葉とは、大人にとってもこどもにとっても重要な意味を持つものである。われわれ大人は何かを伝えるコミュニケーションのものとして普段から使うほか、ひとつのものの説明や、それを定義する際にも使う。広く使われている言葉というものにはふしぎな力がある。特にそれはこどもに顕著に現れていると私は考える。
 「ありがとう」、「ごめんね」などごく当たり前な挨拶言葉、これらの言葉は大人よりもこどものほうが良く使う気がする。コミュニケーションに欠かせないこの挨拶言葉だが、言い換えようと思えばいくらでも種類はあるだろう。しかし、こどもは基本的なものしか使わない。それには理由がある。知らないからだ。言葉というのは語彙能力の差があると、表現が違うよう感じることがある。だが、それはどちらがいいというわけではないと思う。こどもは語彙能力が低い。それは経験が少ないからであろう。だけど、そのかわり核心に触れるものがある気がする。ときどき、ドキッとさせられるようなことがあると思う。きっと、余計なことを考えず直感で言ってるときがそうなのではないだろうか。何も知らない故に、なにも言葉で飾ることはない。つまりは、むき出しの感情なのではとも考えられる。だけど、感情というのは言葉に表すのは難しい。気持ちという抽象的なものを言葉という具体的なものにするからである。そこに表情というものが加わることによって、また人は受ける印象が違うのではないだろうか。だが、表情というのは結局のところ多少は作ることが出来てしまう。大人は社会性などを身に付けているため、場にふさわしくない言動、態度というのはとるべきではないということを知っているからだ。それに対してこどもは思ったことを思ったとおりに言う。しかも、表情も気持ちを忠実に表すことが多い。その表情と飾らない言葉というのはとてもいい組み合わせなどだと思う。等身大の自分を表すことの出来る言葉というのがこどもの言葉なのかもしれない。これらのことは幼児から小学校中学年あたりまで当てはまると思う。
 では、乳児などのあかちゃんといわれるこどもたちにとって言葉はどういうものなのだろう。私達は、言葉には意味を付けて使っているがあかちゃんにとっては言葉単体で意味を成すものかというと難しい。しかし、意味がないわけではない。最初は、声を発するより前に、泣き声として自分をアピールする。それがだんだんとうめき声のようなものに変わる。あーとかうーとかのような喃語は、泣き以外での赤ちゃんからの初のアプローチであるといえる。これは、ある種赤ちゃん語という言葉なのではないだろうか。母親と赤ちゃんの間に形成された愛着が成り立つ関係のみで成立する言葉、そんな気がする。その後、片言の単語や二語を組み合わせた言葉を発する。それらは、赤ちゃんが本能的に知っているというわけではない。では、なぜしゃべるようになるのか。それはもちろん、母親や周りにいる人、テレビ等からの言葉を聴いてまねするからである。赤ちゃんは生まれてからではなく、おなかにいるときから声や音を聞き、母親や兄弟の声をも聞き分けるとさえ言われている。それが本当かどうかはわからないが、もしこれと同様ののことが出来るなら、意味はわからずとも音により常に同じことを言ってるわけではないということはわかってるかもしれない。そうすると、もしかしたらだが、言葉というのは母親やわれわれ大人から赤ちゃんへと伝わっているものが何かあるのではないのだろうか。もちろん、言葉の意味はわからないだろうが、声のトーンや話す速さなどでこちらの意図や感情のようなものを肌で感じているのではないかと思う。
 以上のことを踏まえると大人こどもに関係なく言葉はコミュニケーションのために必要な欠かせないものであることは変わりないようだ。その、大人とこどもは同じ人間であるがある種違うものであるとも考えられる。言葉という面から見れば語彙能力云々もあるが、肉体的にも精神的にも未成熟なのがこどもなのだから、違うのは当たり前であろう。だが、その違うこどもと大人をつなぐことが出来るのは言葉である。そして、その言葉はコミュニケーションから発展して信頼関係を築くことが出来る。たとえばなにかをしてあげるという約束、これはしてあげるというだけでなく、約束を守るという点でも信頼は築けると思う。ほかには、お礼などもあげられると思う。先述の約束を果たしてもらった際に、一言「ありがとう」というか否かで、何かをしてあげた側が感じるものは違うと思う。これらは保育者や先生という立場の大人と、生徒や園児というこどもの立場において成立しやすいと思う。では、母子父子、つまりは親子間での信頼関係とは何だろうか。それは愛着、つまりはアタッチメントではないかと考える。最初の頃は言葉を使わずとも、なにかをするということで形成していくが、だんだんと成長するにつれ、言葉を使ってこどもは何かを訴える。幼児くらいからこういうことをするが、それに対して、何らかの反応があるかないかで大きく違うと思う。たとえば、何かをして欲しいとこどもがうったえる。そのことに対して、その何かを上げることは要求に応えたことになる。逆に、その何かをあげないことも考えられる。そのとき、無視したり、ダメと簡潔に断ってしまうと、こどもはあまりいい気分はしない。しかし、なぜダメなのかを簡単にでも説明すれば、納得せずともその子には、言葉を通して、こちらからの意図を伝えることが出来た。つまりは、言葉によるコミュニケーションが通じたわけだ。そうすることにより、要求には応えられずとも、こどもとの関係・つながりは続き、次へとつながる。これが言葉によるアタッチメントの形成のひとつじゃないかなと思う。
 言葉というものは、捕らえ方ひとつでさまざまな意味をもつ。ただ単に、決まった受け答えをするのであれば、それはロボットにでもプログラムをインプットして反応させればいいかもしれない。しかし、それではいけない。人は気分によって口調や語尾、言う内容ですら変わることがあるからである。そうやって変わることがいいことか悪いことかはここでは追求しないが、そういう変化というのも人が使う言葉だからこそ起こりうるのではないだろうか。同じ人でも変わるこの言葉、やはりいろいろな言葉を聞く、見るというのは重要ではないか。こどもの語彙能力は低いと最初に書いたが、その低いというのは決して欠点ではない。むしろ利点であるとも考えられる。なぜなら白紙の状態には色々なものが書けるからである。つまりは、いろんな言葉を覚えることが出来るのだ。さまざまな人と会話し、聞いて、感じて、学んでいく。こういったコミュニケーションがこどもには特に必要だと思う。そしてこういったことが出来る環境を作るのがわれわれ大人の役目ではないだろうか。
 つまりこどもにとって言葉はコミュニケーションのツールであり、われわれ大人とこどもをつなぐ橋であり、われわれ大人に近づくためのものなのではないかと私は考える。


ゼミ選考にて提出したレポート。
なんだかレポートは途中で要らなくなったらしいが、書いてしまったので出したら読んでくれた。
語り  2007.11.03

ラジオ

CoM0 TrB0
さっき、レンタル屋のバイトのあと、アキヒトのラジオを聞こうと思ったら、なんかやってた番組があった。
あ、ちなみにアキヒトのラジオは1日日にちがずれてたことに、25時になって気づきました(・ω・;)

途中からしか聞けなかったため、完璧にはわからないが、ラジオの内容は、『中学時代に受けた虐待が許せず、母親に暴力を振るい骨折をさせてしまった男の子とラジオの司会者が語る』という物だった。毎回テーマは違うのだろうが、電話越しに男の子と会話していた。途中母親ともはなしたりと興味深かった。
話を要約すると、
・中学時代に暴力による虐待をうけた
・現在高校生
・母親に報復として暴力を振るってる
・暴力により母親は骨折
・中学時代に児相に行っていた。
・男の子は1人で抱え込んでいた。


母親と司会者との会話で、考えさせられた。

母親「自分が悪いから殴られても訴えない」
司会「殴られることを許していたら、男の子がかわいそう」

司会者は怒っていた。責任を感じてるにしても、許してしまったらこの先社会にでて、むかついたら暴力で訴えてしまう人になると。

ここからが自分の考えなのだが、悪いことをしたら、怒ってあげる。これは愛情だと思う。感情に任せて怒るのではなく、相手のためを思って怒る。
これは子どもとかそんなの関係なしにいえることじゃないだろうか。

話は変わるが、この男の子は1人で抱え込んでいた。誰にも相談できず、表現もできず、学校でもあれていたそうだ。
担任の先生は何をしていたのだろう。
学校の先生はなにも気づかなかったのだろうか。
母親はなにもしなかったのだろうか。
大人と子ども。分ける定義は難しい。ただ、こういうときはそういう風に考えるのではなく、1人の人間として、様子がおかしいと思ったときなにもしない・できないとなると大人ってなんなんだろうと思う。

ちっちゃい頃、大人はなんでもできると思ってた。もちろん今は理解している。では、自分はいつこれに気づいたか。
中学時代だったと思う。世の中が見えてきて、自分でものを考えるようになった。
大人はなんでもできるというわけじゃない。けど、できることをやらないのは大人なのか。
また、この話の先生の立場に自分が立ってみて、自分はなにかできたか。
そういうことをかんがえると大人と子どもという言葉になんの意味があるのだろうと思った。

――
AM1242、日曜日24〜25時の番組を聞いて。

※この話に関する情報を待ってます。
語り  2007.06.18

現在時刻

カウンター

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

最近のトラックバック

友達申請フォーム

プロフィール

shun

Author:shun
shunのステータス 

Lv.19 HP 386/1231
状態:昼夜逆転
職業:保育士見習い
右手:スティッチのボールペン
左手:iPod
頭部:眼鏡
装飾:W-ZERO3 advanced [es] WS011SH
好物:ジジ
弱点:脇腹
特技:マシンガントーク
持病:音楽依存症
称号:音楽オタク


☆★☆★LOVE☆★☆★

ポルノグラフィティ
GARNET CROW
L'Arc 〜en〜 Ciel
ELLEGARDEN
Rip Slyme
Guns 'N' Roses
Every Little Thing
GLAY
BUMP OF CHIKEN
東京事変
奥田美和子
柴田淳
Linkin Park
RADWIMPS
Cellador
子ども
音楽
メタル
シャウト
DragonForce
遭難の「チッチ」っていう舌打ち
↑のライブバージョンの手の振りつけ
語ること
封神演義
ドキドキ
FF
ピアノ音色
ジジ
トトロ
子トトロ
テト
小動物
ウィズ
蝶々

モコナ
丸の内サディスティック
ハイトーンヴォイス
アレンジ
子顔
背のちっちゃい子
髑髏

土方歳三
新撰組
ELLEGARDEN
カラオケ

人間
アコギを弾く人
ハリポタ
ピースメイカー
スパイラル
鋼の錬金術師
HIROMI
ミートソーススパゲッティ
カルボナーラ
友達
改造・カスタマイズ

etc...

☆★☆★HATE☆★☆★

いつまでもズルズル引きずる奴
香水臭い人
常識のない人間
人の意見を聞かないやつ
ハロプロ系
店に来る馴れ馴れしい客
自分の意見を持たないやつ
化粧濃いやつ
見た目は大人、頭脳は子ども
人に意見を押し付ける人

AND NOW LOADING...

リンク

ブログ内検索

FC2カウンター

現在の閲覧者数:
無料カウンター

参加ランキング

↓参加しています↓

FC2ブログランキング

PGブログLINK
人気ブログランキング
ビジネスブログランキング
人気blogランキングへ
人気ブログランキング・ランブロ
クリックしてくれたらうれしいけど
あまり順位に興味はないw

携帯で読み込んでちょ

QRコード